<船木伸兒氏の器:私の部屋に転がっていたテニスボールと遭遇>
宍道湖畔には幾つかの窯元があります。松江は不昧流の伝統もあり銘菓も有名。民芸運動の大家河井寛次郎氏がこの地の出身であっても不思議ではありません。私はかつて京都五条の鐘鋳町に住んでいた時期があります。東大路通りから馬町の交差点をだらだらと坂を下りたところでした。南に蓮華王院三十三間堂があり、北に六波羅蜜寺がある。湛慶の仏像が安置されているので自称湛慶クロスと言っていました。近所の町屋風の記念館に河井寛次郎氏の作品が展示されており、その作品が非常に高価であることに瞠目したことを憶えています。近代は人の紐帯を崩壊させ富あるいは権力の集中と自由を拘束した。民芸運動が近代モダニズムという視点から地方の伝統を見たのではなく、近代のディレンマが地域に接近せざるを得なかった。そこには人間が自らの手で造った自らの生活のための用の美が存在した。船木伸兒氏の父船木研兒氏はその民芸運動の中心人物の一人です。
玉造温泉での宿泊を契機に船木窯を訪れた。夏の名残りの熱気は、10月の声を聞くこの時期にも宍道湖の湖畔にあるこの窯を包んでいる。手入れは敢えてしていないと思わせる深い叢に覆われた前庭は、亭主は時間に任せているらしい。その内、湖畔を渡る北の風に枯れてしまうでしょうとね。神経質に刈り込まれた木々を見るのは辛い。こはこれで季節の移ろいに抗うことなく十分に美しい景観を見せている。氏のアトリエを見せていただいた。ここでは時間は刻まない。呼吸の瞬間に、現れる人の気配。この部屋に集った人たち。柳宗悦、河井寛次郎。「この鴨井はバーナードリーチがいつも頭を打っていたそうですよ」船木伸兒氏に案内していただける幸運を感謝したい。伸兒氏のお母さまに案内をいただいて研兒氏の作品を見せていただいた。予告もなく現れた私を受け入れていただいた。それはもう至福の時間を経験しました。船木窯を再訪するときは、あの桜の樹はきっと見事な花をつけている。春は冬の宍道湖を堪能しなければ見ることはできない。

<緑釉丸鉢(径25㎝ 高3.5㎝) 船木研兒氏作>
「カサゴが好きなんですよ」船木伸兒氏の言。きっと幼少期の思い出があるのでしょう。実を言うと、一時期伸兒氏の作品を所有していたのですが手放してしまいました。言いそびれました。様々渉猟し、いつかどこかに収斂するというスタイルでいましたからと。船木研兒氏の代名詞、スリップウエアーを脱して、別の宇宙を見ているよう。土の器は宇宙からの賜物です。土に還る途中の発掘された土器の破片はそっと返しておきましょうね。







