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旅を旅するために

湛慶の後背 京都 山口

 京都に行くと湛慶が彫像した作品に向き合いたくなります。東山七条の妙法院蓮華法院本堂(ここでは三十三間堂と表記します)の婆藪仙人像と摩和羅女像、六波羅蜜寺の湛慶像にはどうしても会いたいという気持ちが募ります。三十三間堂へは京都駅からは歩いても良いですが、京阪七条の駅を過ぎると坂を上らなければいけません。京都駅で外国の人に道を訊かれて、歩いて行けますよと言ったことを後悔したことがあります。でも健脚の人は平気です。泉涌寺界隈に住んでいた私はよく歩いて出向きました。七条の通りを挟んで京都国立博物館の対面にあり、近くには智積院もあります。三十三間堂には多くの仏像がありますが、二十八部衆の仏像は一列に配置されており、お目当てにはあっけないほど自然に出会うことができます。婆藪仙人は、元はバラモンの王でありながら、殺生の罪で生きながら地獄に墜ち、釈尊に救われたのだと言われています。湛慶の現した婆藪仙人像は素足、上半身裸形の姿で、何処をどう辿ってきたのでしょう瘦せ衰え右手で杖をつき、その右腕の上に左腕を乗せ、自分が掴んだ経典の一巻をやおら差し出します。婆藪仙人の謂われをモチーフにしながら、湛慶は人間の朽ち果てた最後に行きつく究極の姿を現したかった。「ああこれは自分だ」そう唸ってしまう。それは恰も自分の行き着く先の姿のように思えてならないのです。今、私は婆藪仙人像を横からただ見ている。後背からただ見ている。去り難い気持ちにさせます。そして摩和羅女像も何らかの謂われはあるのでしょう。しかし、この真摯に祈りをささげる摩和羅女の前にいつまでも佇んで居たい気持ちにさせます。ただそれだけで全てが嘉納される気持ちにさせます。あるいは湛慶は自らの母親の面影をそこに投影させているのかもしれません。それでは三十三間堂から、さらに北に歩いて六波羅蜜寺に行きましょう。そこには湛慶の自刻像のほかにも運慶像、有名な空也上人像(康慶の作と言われています)があります。湛慶が自ら作像した湛慶像のその面持ち、実在感、肉体の厚み、背面は背面であっても細部まで手抜かりはなく寧ろその背面にこそ作者の感性が宿っているように思えます。これは当該彫像に向き合うことでしか感じることはできません。ここまで見ていると、私は瞬時に山口県の由緒ある寺院を想起してしまいます。なだらかな懐の深い山の中腹にその寺院はあって、子どものころに一度訪れたことがありました。山門をくぐって本院に上がってゆかねばならないのですが、赤い衣装の地蔵とその山門(仁王門)の金剛力士像が強く記憶に残っていました。不思議なことに、その寺院の山門の潜りのイニシエーションが、しばしば夢に出現するのです。スピリチュアル的に書くと何やら怪しげな雰囲気になってしまいますので余り書きたくはないのですがそんな経験があるのです。私の脳裡の奥深い所で起こる出来事を確かめたくて数年前、再訪した折、その仁王像がなくなっているのに驚愕したのです。折よくご住職の奥様にお会いし、詳細をお聞きすると文化財収蔵庫に移してありますと教えていただきました。その隣接する収蔵庫を見せていただくことができ、案内していただきました。そこはなんと彫像群が身近に佇立しているのです。勿論手に触れることはできませんが、こんなに近くでその彫像と肩を並べ、同じ空間で呼吸していることの幸福感は何にも代えがたいのです。その素晴らしい光景に「これは湛慶ですね」とお聞きすると、「どなたかはわかりませんが慶派の作品です」と仰られていましたが、私には直感的にこれは湛慶と感じざるを得ないのです。その寺院の格式から言っても湛慶の彫像があっても不思議ではありません。時代的にも齟齬はなく、湛慶は東大寺の重源上人像を作像していますから、猶更、その思いは強くなります。脚部から背、うなじ、頭頂に至るまで「気」が横溢し、そこには湛慶しか現わせない人間の真理があるように感じます。

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俺ふぇうすⅡ世
Les rêves sont la littérature du sommeil. 眠りから覚めても夢を見続けている。私の語る言葉はまだ夢の続きなのかもしれない。