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旅を旅するために

美感 喪失 アルフレッド・ブレンデル そして京都

 アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel)の弾くピアノ曲を聴いたことがありますか。
「音の美は沈黙の中のある」 五味康祐氏は『西方の音』でそう語っている。沈黙の美しさを知らない人のどんな批評もどんな高邁な言説も信用しない。私は通算すると12年間京都に住んでいた。でも、あの時、京都から離れる決心をしたのはアルフレッド・ブレンデルの弾くシューベルトに激しい喪失感を覚えたからだ。二十代半ばで、それまで自分の挟持し続けた稚拙な美感が崩壊した瞬間だった。修復されることのない傷には誰にも何にも触れさせたくない。果てしない美感をそこに感じていても。偽物のオルフェウス。

Franz Schubert:4 Impromptus No.2 Es-Dur Op.90-2 D 899 スコアーは変ホ長調からロ短調に転調する部分の抜粋。 ピアノの初心者からホロビッツに至るまで愛され演奏される楽曲。アルフレッド・ブレンデルの演奏は、一般には理知的とか楽曲の分析の鋭さを指摘する声が圧倒的だ。しかし、そのような評価のレベルは遥かに超えている。他のピアニストの弾くシューベルトで喪失感を覚えることはない。それではマウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)ならどのように聴こえるのだろう。ポリーニが来日した際、シューベルトのD 845を聴いた。演奏が始まって暫く何が起こっているのか信じられなかった。ポリーニは腹から唸り声を上げて弾いていた。最前列で聴いていた私にはピアノの音の記憶はない。ただ彼の魂の声が耳朶に残っているだけだ。

 師走の京都に来ると、必ず訪ねる場所がある。東山泉涌寺のとある塔頭と、御所に近接した私のお守り神社(一方的に思っているだけですが)の『護王神社』である。いずれも深い縁に包まれている。このまま京都に住み続けようそう思っていた。ある企業から今から考えても最大の条件でのオファーを頂いていたのに断りを入れ、あらゆる好意から逃避し京都から離れる決心をしたのはまさしくブレンデルの弾くシューベルトの楽曲の終焉と沈黙(しじま)に滂沱したからだった。
 
 実は師走の京都を訪れる楽しみの一つに全国高校駅伝大会があります。トップレベルの選手たちは勿論ですが、彼らを取り巻く人々や競技役員の動きに興味をそそられます。今年は小雪がちらつく久しぶりに冬らしい寒さの師走の京都でした。

 アルフレッド・ブレンデルが引退し、カルロス・クライバー(Carlos Kleiber)が亡くなって久しい。クライバーの思い出もたくさんあります。それはいつかこのブログに書くとして、アルフレッド・ブレンデルの思い出の一つに、リストのプログラムの演奏会で、体調が悪いのかあまりに不調な演奏に、演奏会の半ばにしてこのままキャンセルになるのではないかと危惧したことがありました。ところが幕間に、会場備え付けのシュタンウェイの調律を自らし直しているではありませんか。その会場のピアノのもっと言えば調律の不手際がその原因でした。主催者の名誉にかかわることですので、恐らく誰も語ることのない逸話だと思います。

 私と同じような音楽の接し方をする人を探していると、『西方の音』『天の聲』に辿り着いた。五味康祐氏は大衆向け小説家と一般的には認識されている。だが昭和28年『喪神』で芥川賞を受賞している日本ロマン派の系譜を受け継ぐ作家である。一般人の私のような人間には五味康祐氏のような潤沢な資金で『オーディオ巡礼』は勿論できない。

《用の美》アルフレッド・ブレンデルの弾くピアノの楽曲を聴くために辿り着いたJBLのスピーカーTi10k。シンプルに大阪逸品館で調整したマランツのアンプに繋いでいる。但し沈黙の時の方が圧倒的に長い。このシューベルトのⅮ899に至っては何年も聴いていない。ただ、勿論僭越なお話と分かっていても、密かに私の葬送にはブレンデルの弾くこの曲を使ってほしいと家人にはお願いしている。

*五味康祐(1969)『西方の音』㈱新潮社
*五味康祐(1976)『天の聲ー西方の音ー』㈱新潮社
*五味康祐(昭和55年)『オーディオ巡礼』ステレオサウンド
*Alfred Brendel(1972)Franz Schubert:
 Four Impromptus D.899 Op.90 & D.935 Op.142 Philips

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俺ふぇうすⅡ世
Les rêves sont la littérature du sommeil. 眠りから覚めても夢を見続けている。私の語る言葉はまだ夢の続きなのかもしれない。