Jean Cocteauのリトグラフです。(自己所有)

中村真一郎氏は著書『頼山陽とその時代』で、芸州広島藩側用人築山捧盈を頼山陽の同藩内での最大の理解者であり保護者であったと紹介しています。私の十代は森鴎外と三島由紀夫で塗り固められているのですが、鴎外の史伝『伊沢蘭軒』の冒頭で頼山陽の蟄居の場面がいきなり記述してあり思わずのめり込んで一気に読み通した記憶があります。この頼山陽の危機ともいえる事態の収拾に頼山陽の武の師範である築山捧盈と叔父の頼杏平が奔走したのです。築山家は、築山通護が元和9年(1623年)に広島藩主浅野長晟に家臣として取り立てられ、爾来、貫心流剣術及び司箭流長刀術の宗家として存続し明治を迎えています。この貫心流剣術は天正頃(1573~91)に現在の安芸高田市にあった五龍城の城主宍戸司箭家俊を直接の流祖としていますが、安芸高田市出身の剣道と居合の高段者の知人に聞いても同市には貫心流剣術の痕跡は残っていないと言います。現在は松江市にその道統が伝えられていて、私はその継承団体に所属しています。いきなりですが私の経験してきた武の主なものを次に記述します。子どものころ:(私に教えていた父親が私に伝えきれないうちに亡くなってしまったので、定かではないですが恐らく富田流。そう聞いた記憶があります)剣術、鎗術などが私の身体の中に留められています。鎗術は、今、少しづつですが体系化したいと考えています。この流派については詳細が不明で少なからず研究が必要です。九州に素晴らしい先生がいらっしゃると聞いていました。縁があって蒲池鎮浪先生(第13代福岡藩伝柳生新影流兵法宗家)の弟子となりました。蒲池先生は九州柳川を支配下とする戦国大名の末裔で、その存在そのものが武士でした。蒲池先生が亡くなったころから、仕事が忙しくなり(8時から翌日の2時ぐらいまで、10年間続きました)、暫く遠ざかってしまいました。新影流(新陰流)は上泉伊勢守信綱を流祖とした剣術の流派ですが、多くの文献が存在します。近年は尾張柳生流を規範とした身体論が展開され独自の世界が構築されています。明治維新と言う旧幕府権威を否定する行為が剣術の世界をも摩滅させたのです。幕末の志士高杉晋作は新影流の免許皆伝だったのですが(山口県長府の記念館に免許状が開示されている)、長州藩剣術師範であった内藤作兵衛が萩の乱(1876)で態々ライフル銃で射殺されているのは象徴的な出来事と言って過言ではありません。
*中村真一郎(昭和51年)「頼山陽とその時代」 中央公論社
*森 林太郎(1979)「鴎外選集 第7巻」(株)岩波書店
*柳生宗矩著 渡邉一郎校注(1985)「兵法家伝書」(株)岩波書店
*一坂太郎(2020)『坂本龍馬と高杉晋作』 朝日新聞出版


